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2009年12月29日
香川〜岡山〜西宮〜東京〜千葉〜西宮。

12月も後半、ほとんどの移動がクルマと新幹線。
毎日毎日いろんなヨットと出会います。

そんな中でも超級75フィートスクーナーを見学。
アフトデッキ、メインサロンの広さは格別で、通常のヨットとは世界感が全く異なります。
また、キャビンには5つもの部屋。
ダブルバースです。それぞれの部屋にトイレ、シャワーが・・・
さらに、バウにはクルールームまでありました。

いわゆるチャーターヨットとして使われるスクーナーヨットです。

その他、カタリナ、ヤマハ、ステップマリンなどなど・・・

追伸!
例のロシア船籍のピーターソン30は、トカラ列島・悪石島を経て、沖縄・宜野湾マリーナに無事到着しました。
年末年始は沖縄で過ごし、フィリピンに向け出航します。
画像は同型艇

2009年12月19日
レジーアマリーナの風景。

前回ピーターソン30の回航着岸は日没だったので、日を改めて日中のしかも晴れた土曜日。
西宮からクルマで2時間。
山陽自動車道・備前ICから岡山ブルーラインを通り抜け虫明ICでおりると静かな湾内に、なにやら楽し気な建物が見え始める。

クラブハウスのロビーを通り抜けデッキから見る風景は、いつもの見なれた大阪湾のマリーナとは違い、山々に囲まれた緑と海の色と空の青さに驚かされる。

さっそく他では味わえない「フロートビラ」におじゃまする。
この「フロートビラ」とは、カンタンに云ってしまえば桟橋の上に住居スペースがあるということ。もちろんベッドルームも、シャワーも、リビングもある快適空間。

そのすぐ隣に、先日回航を終えた「ピーターソン30」が舫われている。

次に「ウッディマリンサービス」(旧足立ヨット造船)さんの工房を見学。
26フィートのセーリングクルーザーと足立ヨットとして初の建造となるトローラーと、
もう1艇画期的なヨットが建造中だった。
かなり画期的というよりなるほど・・・といった表現が適切かもしれない。

その次にオープン寸前の「ホテルレジーア牛窓」の見学。
瀬戸内海が一望できる丘の上の白いホテルです。

まさにリゾート。

12月19日/ピーターソン30
瀬戸内のレジーアの桟橋とピーターソン30

2009年12月14日
今年、再短距離の回航。

私にとってはめずらしいヨットの登場です。

実は、このヨットに限らず、出会うヨットすべてが珍しいのですが・・・。
ほとんどのヨットが初めて出会うヨットなのです。

14日に出会ったのが「NISSAN30」ニッサンマリン建造のヨットなのです。
ニッサンと云えばJ-24でその名は知られていますが、この30はニッサン独自の設計・建造によるもので、巷ではほとんど見かけることのないヨットです。

出会った場所は西宮。
縁あって、このヨットを西宮から西宮への移動・・・
その距離0.3マイル程度。
今年、最短距離の回航です。

しばらく乗っていなかったためバッテリーが上がってしまっており、小さな漁船タイプのオープンボートに横抱きされトロトロと進んだ。
実に穏やかな光景です。

着岸寸前にロープを放ち、得意のラダーリングで進もうとするのですが・・・
あいにくの向い風と船底に付いたフジツボのせいか進まない・・・

見かねたボートがニッサン30のスターンを押し桟橋に押し込んでくれた。
ちょっと楽しい着岸です。

さて、このNISSAN30、キャビンレイアウト、木目の色使いなどなど、なかなかの雰囲気を持ち備えたヨットでした。

船底塗装を終えたら一度はセーリングしてみたいと思います〜

それから、同じニッサン建造のフリーダム22のキャットリグにもトライしたいと思っています。

いろいろ新鮮な日々が続いています〜

12月14日/NISSAN30

追伸!
例のロシア船籍のピーターソン30は、15日トカラ列島・悪石島を出航し、沖縄・宜野湾マリーナを目指しています。

ニッサンマリン建造のNISSAN 30

2009年12月9日
岡山県瀬戸内市虫明・レジーアリゾート。

例のピーターソン30の回航日。

12月9日の午前8時、明石海峡の転流時間にタイミングを合わせ新西宮ヨットハーバーを出航。
風なし、波なし、その上太陽もなし。
かなり肌寒い1日がはじまった。

対地速度、機走7ノットオーバーで明石海峡にアプローチ。
その明石海峡を通過したのは、一番北の端、垂水港、マリンピア神戸の防波堤内を通り抜け、
日本標準時子午線、135°Eを通過。

海苔網漁の収穫を見学がてらに、そのどまん中を通り抜けた。

播磨灘に入ると、一番最初に目にはいるのが上島、続いてクラ掛島、太島、家島諸島・・・
その北側から虫明を目指す。

空はあいかわらずの曇り空。相変わらずの機走・・・
見なれた風景・・・
何の変化もないまま、どんより曇りきった瀬戸内の島々を眺めながら、ひたすらの機走。

17:00
大量の牡蠣養殖のイカダをかわしながら長島の南からアプローチ、
ヤンマー3YM搭載の「ピーターソン30」は静かに、真っ暗になった「レジーアリゾート」のポンツーンに着岸した。

その「レジーアリゾート」分譲型の桟橋。
ゆっくり見学したかったが、日没のため後日に・・・

なんでも・・・元々は塩田の跡地だとか???

そういえば、虫明は牡蠣の名産地でもある!

12月9日/ピーターソン30

瀬戸内市・虫明にある
「レジーアリゾート」
明石海峡を通過する「ピーターソン30」
右が「マリンピア神戸」

2009年12月6日
四国・香川県・仁尾マリーナ。

12月6日午前9時30分。
阪神高速神戸線のETCゲートをくぐり抜けた。

今日も移動はヨットでなくクルマ。
クライスラーメイドの4気筒は大きめのバイブレーションで加速した。
阪神高速から第二神明を経て晴れ渡った明石海峡大橋へと進む。
まさにインデアンサマー。

普段はこの橋を下から眺めているが、今日は橋の上から大阪湾と瀬戸内を眺めることができた。
淡路寄りの潮が速く流れているのか、白波が目立っている。

淡路島から鳴門海峡、さらに小鳴門海峡、クルマはほんの僅かな時間で四国に入った。

室内に入る風、温度調節、スピードコントロールも指先(足先)ひとつで容易に行える。
セーリングとは大違い・・・

「さすがクルマは楽、楽!」と感じていたのは、スターターキーを廻してから僅か2時間まで。
あとは単純な時間を過ごすだけとなってしまった。

セーリング中もけっこう退屈な時間もあるが、この退屈さとは異次元・・・
などなど・・・哲学的なことを考えながらも、仁尾マリーナに到着した。
僅か3時間15分。

パパッ〜て、ヨット見学!
ハル、船底、キャビン共に申し分なし!

再び、ETCゲートをくぐり抜け、退屈なクルージングがはじまった。

そんな退屈な風景の中の対向車線に、何やら不思議な?????見たことがある風景!
510、GC10、SR311などなどが・・・次々と襲ってくる!
ここに54B、RT55M、PR50などが加われば・・・・・・

っと、ほんの少しノストラジックな気分にしたりながらも、やっぱ次回はヨットでと考えさせられた1日。

で、明日は西宮から岡山県瀬戸内市の虫明湾「レジーアリゾート」まで「ピーターソン30」で行きます!

明石海峡大橋の夕暮れ。
大阪湾・瀬戸内の夜景がキレイです。

2009年11月30日
最近話題の日本海小浜に行きました。

11月30日早朝。
西宮から福井県・小浜市に行ってきました。
ヨットではなくクルマ。

しかも乗船したのはヨットではなくボート。
ヤマハFR46と相当気合いの入ったフィッシングクルーザーです。

フィッシングクルーザーというだけあって、メインサロン、ベットルームも完備されています。
フライブリッジもあります。

じゃなにが普通のクルーザーと違うかと云うと・・・
ウォークアラウンドになっていることです。
キャビンのまわりを歩ける(釣りができることです)

だから舫いをとるのも外すのも、フエンダーを付けるのも外すのにも、気合いを入れてバウまで行く必要がありません。
普通に歩いてバウに行ける便利さ楽さがあります。

そんなことで、舫いを「
レッコ」!

幸いにして、今日の日本海は穏やか・・・
全くのフラットな湾内を散策、紅葉が海の色とマッチしてとてもとてもキレイでした。

ちなみに「
レッコ」と云う言葉、ベテランセーラーや漁師さんたちから耳にすることがあります。
なんでも・・・イングリッシュの「
Let's go」が日本のどこかの漁師さんに伝わり、それが訛って「レッコ」になったそうです。

まぁ、さしづめ「さぁ行くぞ!」といった意味合いなんでしょうか・・・。

たまのボーティングも新鮮でした。

11月30日/YAMAHA FR46
小浜湾の紅葉

2009年11月27日
ロシアからのお客さま。パート3

21日・22日・23日の3連休も終わり、ロシアからの書類も届き、日本サイドの書類手続き、26日の午前中にはCUSTOMSのインスペクションも終わり、この艇はロシア船籍になった。
と、いうことは治外法権?
で、法定安全備品などなどロシアの法定備品が摘要させることになる。
もちろん、国際基準はあるのです。

と、なると・・・
現実的には、ロシア船籍のこの艇にむやみに立ち入ることが不可能となる。
実際、出国手続きには乗員数も明記されているため、他の者が乗船できない。
法的にはパスポートが必要になるのかも???

と、なんだかんだの1週間。
出航前チェック時、台風22号発生。
避難港を再確認し11月27日0600、ALEXとDIMAはフィリピンに向けスタートした。

追記
11月30日
11月30日に宮崎の税関から電話が入った。
「ロシア船籍のヨットがまだ入港していない!」とのこと・・・
予定では遅くとも29日の昼過ぎの予定?
他の港に入ったか?
それとも沖縄に直行したのか???
?のまま一旦電話を切った。
彼等VHFは持っているが、ケータイ電話を所持していない・・・
通信手段は彼等が陸に上がって公衆電話を探すしかない。

午後、再び宮崎の税関からの電話。
どうやら日向灘沖で海上保安庁の巡視艇に保護?救助されたらしい?
よくよく聞くと、どうやらエンジン不調のようすらしい。

なんとか巡視艇に曳航され日向市の細島港に入港したらしい。

長距離を機走すると、いくら出航前にエンジン整備しつくしても、冷却水が少なくなったり、燃料がこなくなったり、エンジン負荷などでの黒煙・・・などなど・・・
いろんなトラブルが襲ってくる。

つい先月、大阪から茨城までの回航途中、大波時の一旦停止からスロットルを強めにあけた瞬間しばらく黒煙を上げたが徐々におさまり事なきを得た。
もうひとつはエンジンのパワーダウン。
これは半分以下になった燃料タンクのためのエアーかみ?
燃料を補給するとその症状は消えた。

いづれにせよ、大きな波と戦うにはエンジンに相当負荷がかかっているに違いない。

今回のエンジン不調もそんな症状かもしれない。そうであれば良いのですが・・・

それにしても、先日の落水といえ海上保安庁のクルーの働きには感謝感謝の連続である。

出航前のピーターソン33。
クリックで次ページへ。

追記/落水事故「miemo」艇のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/miemojapan


2009年11月23日
ロシアからのお客さま。パート2

そんなワケで、18日から23日の今日まで、ALEXとDIMAと生活を共にとまではいかないけど、かなり多くの時間を共有しています。
そんな彼等は、西宮でヨットを購入してから、そのヨットで沖縄を中継してフィリピンを目指すそうです。フィリピンでしばらく滞在後、母国ウラジオストックに帰るそうです。

この日の彼等は、そのヨットのキャビンで航海のプランを立てていました。

驚いたのは海図・・・
大阪湾、瀬戸内海からフィリピンまでの海図。
すべてロシア語です。(当然と思いますが・・・)
大阪湾、瀬戸内海の海図がロシア語で表記されているのは何故か不思議な感じがします。
なんとなく読めるのではなく、なんとなく読めなかったですね〜

その上、ヨットのバイブル(教科書のようなもの)を数冊を見せてもらいました。
内容は、日本のものとさほど変わりません。
セーリングの基本、ヨットの種類、荒天時の対処方法、などなど・・・

ついでに、ロシアから見た日本。
いわゆる観光案内です。
これに一番興味を持たされました〜

富士山、ゲイシャ・・・ではなく、現在の日本の風景、世相などけっこう現実の日本が紹介されていました。

そんなついでに、ロシア語をひとつ紹介しておきます。
「RXTCMEHA」正式には最初のRは左右逆です。(右画像、海図と本)
まぁ、雰囲気で解りますが・・・
発音は「ヤストマ???」何度聞いても理解できませんでした・・・

英語になおすと「YACHTMANS 」だそうです。

Continued

拡大できます。

2009年11月19日
ロシアからのお客さま。

11月18日、午前6時30分に三宮バスターミナルでウラジオストックのセーラーと待ち合わせた。
なぜ、三宮かと言うと、彼等はウラジオストックから沖縄に渡り、沖縄から宮崎へ。
宮崎からは夜行バスで約11時間をかけ三宮に到着した。

もちろん日本語は全くできない。
イングリッシュもあまり得意ではない。

彼等とは、52才のアレキサンダーと息子ジーマ24才のふたり旅。
来日の目的はヨット購入のため。

ターミナルを捜しまわりようやく息子のジーマを見つけた。
「But are you Alexander?」が最初に交わした言葉だった。

車中、お互いカタコトのイングリッシュでコミュニケーションをはかる。
なんとか通じて、早朝の西宮近くのファミリーレストランでコーヒーとパンを・・・
よくよく話を聞けば、ヨットのサイズは30フィートから33フィートでしかも格安艇。

予算に合わせたYamaha30SとPeaterson33を紹介した。

彼等は2日間、悩みに悩み、Peaterson33に決定した。

Continued

AlexとDima
ピーターソンのキャビンにて

2009年11月13日
セーリングウェア

私のセーリングウェアはライフジャケットを含め、主にSweden製の「BALTIC 」と「Imhoff」のジャケットとトラウザーを使用しています。

最近購入したのも「BALTIC」製のフリースジャケット。
実はこのジャケット50N(ニュートン)の浮力体付きなのです。
その上に150Nのインフレータブルのライフジャケットを着用!
合計200Nの浮力です。

先日の大阪〜茨城までの回航時も、この組み合わせの他に、天気状況に合わせていろんな組み合わせをチョイスしていました。
日中の穏やかな時は、ポロシャツの上に50Nのマニュアル膨張タイプのベスト。

夜間の寒い時はフリースジャケットにインフレータブルジャケット。
それでも寒い時は、フリースジャケットの上にImhoffのウインドブレーカーにライフジャケットを着用。さらに2フックのライフハーネスと準備万全。

実際、伊豆大島南東の大シケ時にはこの装備が必要と感じました。

ついでに・・・
デッキシューズもヨット用に開発、製造されたモノをチョイスすることをオススメします。
やはり濡れたデッキでは威力を発揮してくれます。

http://www.harken.jp で購入しました。
N(ニュートン)とは

2009年11月10日
ピーターソン30

おおよそ30年近く前、ダグラスピーターソン設計、チタ造船で建造された30フィートヨット。
当時はレース艇としてその名を轟かせていた。

そんなヨットが今も現役、しかも美しくレストアされた上、エンジン、GPS、オートパイロット、デッキ艤装、セールまで最新の装備が搭載され建造時、いやそれ以上のパフォーマンスを魅せている。

つい先週のこと、この艇に乗船する機会を得た。
この日は機走のみ。エンジンは「ヤンマー2YM」。
旧型、2GMをスキルアップ、パワーも2psアップされている。
やはり、ン十年前に製造された2GMとはフィーリングが大きく異なり、とにかく静かでトルクフルな印象を得た。

週が変わり、本日はセーリング。
北東の風が、7〜8ノットから19ノット。
クァンタム・フュージョンXのメインとジブをアップ。
外観からは想像不可能な帆走性能を見せてくれた。

そのうえ、この艇はクルージング仕様の良いところとクラブレース仕様の良いところをミックスさせた理想的なデッキ艤装。
実に作業がイージーで、セールアップ、セールダウン、セールトリム、ワンポイントリーフなどなどが軽いチカラで行える。
もちろんそのためには、ブロック類などはレーシング仕様の高級ブランドを使用している。

11月中に西宮から岡山に回航予定。


2009年10月25日
Marina Del Rey

LAX(ロスエンジェルス空港)の北近くにあるMarina Del Rey(マリーナデルレイ)へ行ってきました。
経済破綻などウソばかりと思うくらい、Richで豊かそうでした。
エコカーなど、どこも走っていないし、相変わらず、フォードやダッジの大型4WDトラックなんかが巾を効かせていて、美しく保たれた560SLなんかもいました。

空港から北へハイウェイで10分くらい、ベニスビーチの奥に位置し、7,000艇以上の係留数を誇るマリーナデルレイは、昔と変わらぬ「マストの林状態」でした。しかも、どのポンツーンもフネが動いている匂いがして、スポーツチックで活気が感じられました。)

以前と異なるのは、大型コンドミニアムや高級ホテルがハーバーを取り囲む様に建ち並んで景色が変わった事です。(写真:真ん中の四角なビルはRitz Carlton)ここのレストランのシャンペンブランチも有名だそうですが、72ドルときいてパス・・・

こういう所に住みながら、通勤をして、週末は海の生活というのもさぞかし素晴らしいだろうな、と思います。なにしろ広い、デッキA〜Gまでハーバーが8区画に区切られており、さしずめ、夢の島マリーナが8個並んでいるくらいの広さです。


RitzCartonを過ぎて、さらに30分くらい歩き続け、青い空の下爽やかな風に吹かれながら、ポンツーンの周囲をドンツキまで歩いて、たどり着いたのが、「SHANGHAI RED's」というレストラン。

ちなみに、レストランの向こうは海上保安庁ならぬ、コーストガードのオフィスとポンツーンでした。
「SHANGHAI RED's」は、昼はシャンパンブランチのみの営業だそうで、ブッフェは、シーフード、ローストビーフをはじめ、カルフォルニアロールなど実演鮨コーナーもあり、シャンパン飲み放題で、US32ドル(平日は27ドルだったかな)は、食いしん坊の私にとってはリーズナブルでした。

客層はさまざまで、若いカップル、着飾った老夫婦、家族で誕生会をやっていたり、もちろん明らかにヨットマンらしき連中がワイワイガヤガヤ暴飲暴食をしている風景もありました。

写真のように、ガッツリ食べて、おかわりも、シャンパンもウェィターさんに注がれるままに飲み、大満足な昼食でした。

午後も三時を過ぎると、大型ボートや、セイルボートなど大小さまざまフネが帰港しはじめ、レストランの目と鼻の先の水路を左から右へと次々に通り過ぎ出します。中には帆走で頑張るLightningクラスなど日本では見れない艇種もあり、フネ好きにはたまりません。

少し酔っ払ったなと、潮風に当たり、ゆっくりと時間が過ぎるのを感じるとともに、テラスでおしゃべりを続ける人々やフネを楽しむ人々の顔をみて、アメリカの豊かさと奥の深さをあらためて感じました。

10月25日/マリーナデルレイ

Marinadelre
SHANGHAI RED's

2009年10月24日〜29日
ニューポート33と低気圧と台風20号。御前崎にて。

まぁ、なんとかこうにか御前崎マリーナに着岸。

まだ、19時くらいだったと思うがあたりは真っ暗。
先客なのか・・・30フィートクラスのヨットのキャビンライトが灯っていたのが目に入ったが、その時はあまり気にせず、レトルトのおでんとビールを飲み熟睡した。

人の話し声で目を覚ました。
地元のセーラーたちと、30フィートクラスのオーナーらしき人たちが自艇が舫われた岸壁に集まってくれていた。

30フィートのヨットもやはり避難中。
そのA氏家族、東京湾を出航し、沖縄、香港を目指す、家族3人での航海と聞く。

そこから、3日間、A氏家族、地元のS氏、M氏にはひとかたならぬお世話になった。
ただ、ヨットを趣味としていると云うだけでなのに、ここまで優しく親切に接してくれるというご好意がすごくありがたかった。(感謝感謝)

御前崎マリーナから駿河湾を通して富士山の全景がハッキリ美しく見渡せた。
海はまだウネリをくり返している。

低気圧の次に襲ってきたのは台風20号。
その20号の通過を待ち、ようやく3日後に那珂湊を目指し、神子元島、大島、野島崎、犬吠埼をまわり、出航から一週間でようやく那珂湊マリーナに着岸した。

追伸、西宮に戻って2〜3日、知人から驚くべきニュースが飛び込んできた。
「A氏、高知沖で落水!、が、しかし11時間後に救助される。」

10月29日/ニューポート33
神子元島南を回航中。

2009年10月22日〜29日
ニューポート33と低気圧と台風20号。

10月22日、午後5時。
大阪北港ヨットハーバーから茨城県・那珂湊マリーナを目指しニューポート33は舫いを解いた。

航行距離450マイル。
速度5ノット平均、ノンストップで90時間を要する。

事前の気象予報では、台風20号はフィリピンあたりに移動し、日本には影響ないハズだった。
また航路にあたる区域も穏やかで、最終日あたりに雨の予報。

まぁ、多少の雨くらいは・・・で離岸した。

友が島を抜け、潮岬を回航・・・
一路、寄港予定の伊豆半島・下田を目指すが、風、波共に真向かい・・・
その風、波共に次第に高くなって来る・・・
しかも北東の風が安定し、全く振れがない。おかしい???

微弱ながら、かろうじて携帯メールがつながる。
友人からの気象情報。低気圧の発生と台風接近!

急遽、下田から御前崎に進路を変更するが、波は高く、ニューポート33はドスンドスンと大きく波に叩かれ悲鳴をあげる。

御前崎へのアプローチ時はまだ明るかったが、入港時にはすっかり暗くなり、小さな航路の灯をたよりに必死でマリーナを探し出し、なんとか舫いをとることができた。(リアルな表現は省略)

その御前崎マリーナには、結局3泊することになった。

10月24日/御前崎マリーナ
御前崎マリーナにて。
ニューポート33

2009年10月21日
ヤンマー2QMエンジンと遭遇。
ヤンマー2GMエンジンとはちょくちょく出会うが、2QMエンジンとははじめて出会った。
30年近くも前に製造されていたエンジンらしい?
聞くところによると、ヤマハ25MKIIなどと同年代。

このエンジンは、なかよし造船建造のハイグレース33に搭載されていた。

バッテリーをつなぐと、コンコンコンと回転しはじめたが・・・
しばらくするとエンジンストール?
どうやら燃料に水が混ざった様子・・・

完全に水を抜き去り、再度コンコンコンと起動しはじめた!
まだまだ現役!

10月22日夕刻。
このエンジンとハイグレース33は元気に韓国・釜山に旅立った・・・。


2009年10月10日
はじめてのセール。
当サイトでも紹介しているHYDE SAIL。
このハイドセールを装備しました。
ジブファーラー用で110%、これくらいのサイズがイイですね〜。
テストセーリングは日が沈む寸前のため短時間ながら、対地速度7〜8ノットでザザザ〜
今年中にメインセールも新調するので、インプレッションはその時に・・・

トリムをする前の画像なのであしからず〜


2009年10月7日
台風接近!

10月7日の夜から8日の朝にかけて、東海地方・知多半島に台風18号は上陸した。

大阪湾では、7日早朝から艇の舫いをとりなをし、クリートがダンゴ状態になるほど普段は1本のところを各箇所4本に補強。
さらにドジャーを外し、ファーラーが開かないようにジブシートを更に巻き付け、その上からさらに予備のシートを巻き付けた。
さらに、ブームカバーも予備シートを巻き付け、ブームそのものも動かないように固定させた。

万全とまでは行かなくても、これ以上はどうしようもない。

7日夜の予報では、最大瞬間風速50メートル以上!
大平洋では12メートルの波と伝えられていた。

5年ほど前になるが、大阪湾に上陸した時、知人のファーラーが開きはじめたので、巻きなおそうと、桟橋に向かったところ、まず、桟橋までたどりつくことが不可能。
そのうえ、桟橋が大きく揺れ、歩ける状態ではない!
結局そのファーラーは数分のうちに全壊した。
その隣では、あっけなく24フィートのモーターボートが沈んでしまった。
ほんとにあっと云う間にバウだけを残し沈んでしまった。


知多半島には衣浦アリーナ、伊勢湾には伊勢湾マリーナ、五ケ所湾にはVOCなど、知人の艇が保管されている。皆、無事でいてくれただろうか?

幸い、知る限りでは大阪湾の艇はほとんどと云ってイイくらい被害はなかった。

ただ・・・8日早朝。
陸置きされたシーホッパーらしきディンギーが風に耐え切れずか、オフィスのドアと郵便ポストを直撃していた。